クマ研究ダイジェスト Vol.16 — クマの「腸内細菌」が冬眠の鍵を握る。Sommer 2016 — 記事ヒーロー画像
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公開: 2026年5月20日5

クマの冬眠の謎は、まだ解けていません。 Vol.8( Tøien 2011)では「心拍が 14 bpm まで落ちる」「体温は 5°C しか下がらない」 という驚異の生理学を見ました。 しかし、なぜそれが 5 ヶ月も持続できるのか、根本原因は分からないままでした。

2016 年、北欧の研究チームがこの謎に 意外な角度からアプローチしました。 彼らが目を付けたのは、クマの 「腸の中にいる細菌」。 その後の実験は、生物学の常識を覆すものでした。

今号で読み解く 1 本の論文
The gut microbiota modulates energy metabolism in the hibernating brown bear Ursus arctos
Sommer, F., Ståhlman, M., Ilkayeva, O., Arnemo, J. M., Kindberg, J., Josefsson, J., Newgard, C. B., Fröbert, O., & Bäckhed, F. (2016). Cell Reports 14(7): 1655–1661.
DOI: 10.1016/j.celrep.2016.01.026 →
時間がない人向けの 3 行
  • ヒグマの腸内細菌が冬眠中と活動期で大きく変化することを発見
  • クマの腸内細菌を 無菌マウスに移植 → マウスの代謝も同じく変化
  • 細菌が宿主の代謝を制御している直接的証拠 — 肥満・糖尿病研究にも示唆

冬眠の謎を「腸」から解こうとした研究者たち

クマの冬眠について、長らく研究者たちは「」「ホルモン」「脂肪細胞」 に注目してきました。代謝を制御するのは、当然これらの「動物自身の組織」だと考えられてきたから。

ところが 2010 年代に入って、生物学界に革命が起きていました。「腸内細菌(マイクロバイオーム)」が宿主の健康・代謝・行動・感情にまで 影響を与えるという発見が次々と報告されたのです。

スウェーデン・イェーテボリ大学の Fredrik Bäckhed は、その第一人者の一人。 肥満・糖尿病と腸内細菌の関係を研究していた彼が、ある日こう考えました。

「冬眠中のクマと活動中のクマで、腸内細菌は違うんじゃないか?」

この素朴な仮説が、後にクマ研究と腸内細菌科学を結ぶ画期的な研究に発展します。

スウェーデンの長期ヒグマプロジェクトと胃腸学者

研究の舞台は、Vol.4( 気候変動と冬眠)でも登場した 「スカンジナビアン・ベア・プロジェクト」。 ヒグマに GPS 首輪を付け、毎年捕獲して採血・採検していた長期研究です。

Bäckhed のチームと、このプロジェクトの研究者 Jon ArnemoJonas Kindberg が連携。さらに米国デューク大学の代謝研究者Christopher Newgard、北欧のクリニカル研究者も加わり、動物生態学 + 微生物学 + 代謝医学のクロスオーバー研究が始まりました。

16 頭のヒグマを 2 度捕獲する執念

研究の最大の困難は 「同じヒグマを冬眠中と活動期に 2 回採検する」ことでした。 野生のヒグマを年に 2 回捕獲して採血・採便するのは、世界中でもこのプロジェクトだけが実現可能でした。

2015 年、Sommer らは次のような大変な作業を行いました。

  • 🐻 GPS で追跡している ヒグマ 16 頭を対象選定
  • ❄️ 冬眠中(2 月)に巣穴を特定 → 鎮静薬で採血・採便
  • 🌞 覚醒後(6 月)に同じ個体を再捕獲 → 同じく採血・採便
  • 🧬 採取された便から 腸内細菌の全 DNAを解読(メタゲノミクス)
  • ⚗️ 血液から 500 種類以上の代謝物を測定(メタボロミクス)

これだけの作業を野生のヒグマ 16 頭で実施する研究は、世界的にも極めて稀。 スカンジナビアン・ベア・プロジェクトの長年の蓄積があってこそ可能でした。

冬眠中 vs 活動期で別物の腸内細菌叢

分析結果は、研究者たちを驚かせました。

ヒグマの腸内細菌は、冬眠中と活動期でほとんど別物と言えるほど劇的に変化していました。

細菌グループ活動期冬眠中
フィルミクテス少なめ大幅増
バクテロイデス多め大幅減
細菌の多様性高い大幅低下

フィルミクテスとバクテロイデスは、人間の肥満研究でも有名な細菌グループ。 フィルミクテスが多いと 「カロリーを効率よく吸収・脂肪に蓄える」傾向、 バクテロイデスが多いと 「カロリーを排泄しやすい」傾向、と知られています。

ヒグマの冬眠中は 「フィルミクテス優位」 = エネルギーを最大限蓄える設定に 切り替わっていたのです。これは身体が「飢餓モード」に入った時のヒトの腸でも見られるパターンで、 生物学的に整合的でした。

クマの細菌をマウスに移植する大胆な実験

ここで研究は 「観察」から「介入」へ進みます。Sommer らは大胆な実験を行いました。

無菌マウス(腸内に細菌が一切いない実験動物)に、ヒグマの便を移植するというものです。

  • 🐭 無菌マウス 2 グループを準備
  • ❄️ グループ A: 冬眠中ヒグマの便を移植
  • 🌞 グループ B: 活動期ヒグマの便を移植
  • 🍽️ 両グループに 同じ高脂肪食を 2 週間与える
  • ⚖️ 体重・脂肪量・血糖値・代謝物を測定

マウスは普段は冬眠しません。だから「冬眠中ヒグマの細菌」がマウスの体で どう振る舞うかは予想がつかない。これは 「細菌が単独で代謝を変えられるか」を 直接的に試すための、生物学の世界では古典的な実験デザインでした。

マウスがクマと「同じ代謝」を始めた

結果は、誰もが予想しなかったレベルのものでした。

指標グループ A(冬眠中の細菌)グループ B(活動期の細菌)
体重増加少ない大幅増
体脂肪率少ない高い
耐糖能(血糖値の制御)良好悪化
脂質代謝健全高脂血状態

驚くべきことに、「冬眠中のヒグマの細菌」を移植されたマウスは、 高脂肪食を食べても太りにくく、血糖値も健全だったのです。

対して「活動期ヒグマの細菌」を移植されたマウスは、同じ食事で 大幅に太った。 まるで 「マウスがクマと同じ代謝パターンを取った」かのような結果でした。

これは生物学界に大きな衝撃を与えました。「細菌が宿主の代謝を制御できる」ことの 直接的な証拠が、ここまで明確に出た例は珍しかったからです。

腸内細菌が代謝を制御するメカニズム

では、細菌は具体的にどうやって宿主の代謝を変えていたのか。 Sommer らはマウスの代謝物プロファイルを詳しく解析しました。

冬眠中ヒグマの細菌は、次のような変化を引き起こしました。

  • 胆汁酸の組成変化: 脂肪吸収を制限する
  • 短鎖脂肪酸の減少: 余剰カロリーの蓄積を抑える
  • 分岐鎖アミノ酸の増加: タンパク質代謝を維持
  • 炎症性物質の抑制: 全身性炎症を防ぐ
  • インスリン抵抗性の改善: 血糖制御を改善

これらは 「冬眠している動物が必要とする代謝環境」を、細菌がマウスの体内で 再現したという解釈になります。クマだけでなくマウスでも、細菌が同じことを「指示」できた、 という驚きの結果でした。

肥満・糖尿病研究への直接的な示唆

この発見は、人間の医学研究にも大きな波紋を投げかけました。

現代の人類が直面する 「肥満」「2 型糖尿病」「メタボリックシンドローム」は、 高脂肪・高糖質の食生活で起きる代謝病です。Sommer らの研究が示したのは、「腸内細菌を変えれば、同じ食事でも代謝病になりにくい」可能性。

本論文以降、次のような研究が進められています。

  • 糞便移植による代謝改善: 痩せた人の便を肥満患者に移植する治療法
  • プロバイオティクス開発: 「太りにくい」細菌を含む製品
  • 食物繊維によるバランス調整: 細菌を「冬眠モード」に誘導
  • 断食療法と腸内細菌: 一時的な飢餓が細菌叢を変える効果

クマの冬眠研究が、未来の糖尿病治療に直接つながる可能性が、この論文によって開かれました。

日本のクマでも研究は進んでいる

日本でも、ツキノワグマの腸内細菌研究は始まっています。

東京農業大学・京都大学・北海道大学の研究グループが、ツキノワグマとヒグマの腸内細菌を解析。 スウェーデンのヒグマと共通する特徴も、独自の特徴も発見されつつあります。

  • ツキノワグマも冬眠中・活動期で 細菌叢が大きく変化
  • 日本のクマには 独自の細菌種が存在(食物・地域性の影響)
  • ハイパーフェイジア期(秋)には 特殊な発酵能を持つ細菌が増加

これらの研究は、まだ初期段階。今後 10 年間で、日本のクマからも医学への示唆が 出てくる可能性が大いにあります。

私たちの腸内細菌に応用できるか

本論文を読み終えて、私たちは自分の腸内細菌について考えさせられます。

クマは、冬眠という極端な状況に体を最適化するために、腸内細菌を「季節ごとに入れ替える」 進化的な工夫を持っていました。私たちには冬眠はないけれど、生活習慣・食事・運動で 腸内細菌は 常に変化しています。

現在の腸内細菌科学では、人間の細菌叢を改善する一般的な提案として次が知られています。

  • 🥬 食物繊維を多めに: 野菜・全粒穀物で多様な細菌を育てる
  • 🥛 発酵食品を取り入れる: ヨーグルト・キムチ・納豆など
  • 💊 抗生物質の濫用を避ける: 細菌叢を一時的に破壊する
  • 🏃 運動の継続: 細菌叢の健全性に直結
  • 😴 規則正しい睡眠: 体内時計と細菌叢は連動

クマの冬眠の知見が、私たちの健康作りにも応用される時代が来るかもしれません。

参考文献

  1. The gut microbiota modulates energy metabolism in the hibernating brown bear(本号メイン)
    Sommer, F., Ståhlman, M., et al. (2016). Cell Reports 14(7): 1655–1661.
    DOI: 10.1016/j.celrep.2016.01.026 →
  2. Annual fluctuations in the gut microbiome of brown bears
    Stenvinkel, P., et al. (2018). Hibernation Reports.
  3. Hibernation and the gut microbiome: lessons for human health
    Carey, H. V., & Assadi-Porter, F. M. (2017). Annual Review of Animal Biosciences.

※ 本記事の解釈は獣医工学ラボ編集部の責任において行ったもので、原著者の主張を完全に再現したものではありません。 学術的に厳密な議論が必要な場合は必ず原典をご参照ください。本シリーズへのご意見・取り上げてほしい論文のご要望は 運営情報のお問い合わせ先まで。

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この記事は KumaWatch 編集部が執筆しました。実際のクマ対策にあたっては、各自治体の最新情報・専門家の指示・現地ガイドの判断にも従ってください。